2014年3月29日

自分の中の一線を越えたときに見えるものとは

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自分の中の一線を越える。

人生は常にこれに尽きると思います。

自分の前に立ちふさがる壁を越えていくのみなのです。

いろいろな体験をしにこの肉体を授かり、魂は新鮮なエネルギーを欲しています。

下にいるときは上の人を理解できず、上に上がった者のみ、下を理解することができます。

その下にいるとき、理解できないとき、そのとき、何をするかで、人生の流れがほぼ決まってしまうのです。

そのとき、外を観るか、内を観るか!

そのとき、一線を越えられるかどうか!

自分の一線を越えた者しか、得ることの出来ない宝がそこにあります。

人生は生きても80年。

これを長いと取るか、短いと取るか!

いや、こんなに地球に留まっていられないかもしれない。

人生で、終焉という場面の裏腹にたって始めて生きることの意味を模索し始めます。

気付きは一瞬で起こります。

それは”今”に自分がいないと起きません。

ましてや、外野に目を向けて、責任を外に転嫁してしているうちは、また,迷い子のように迷路にはまって、ゴールのまわりをウロウロするだけ。

成功とは何か?

仕事がうまくいくこと?

お金が儲かる事?立場を確立すること?

それは、所詮、泡となって消えて行く。

その過程で何を得ることできるのか?

本質は生きる瀬戸際に立って、理解できるのかもしれません。

さて、27日の瞑想会。

なかなか、いい雰囲気で終了。会を重ねるたびに、行く先が観えてきています。

皆さんと共に、私も開かれていて、次回の慈悲ワークを楽しみしています。

光に触れたとき、初めて何が大切なのかわかってきます。

サンフランシスコでも沢山の気付きがまた、新たな領域を開いてくれるでしょう。